性器ヘルペスの実践的な診断手順
性病事典>性器ヘルペス>性器ヘルペスの実践的な診断手順
この記事は主に2013年日本性感染症学会講演会での教育セミナーならびに、2014年HZ・S研究会での講演内容から抜粋して書き直したものです。専門医のみならず医療機関様で日常診療にお役立ていただけると幸いです。なお、著者の許可なく書籍、インターネット、論文ほかに記事や画像の一部または全部を転載、引用、公開を禁止いたします。
① 性器ヘルペス(Genital Herpes; 以下GHと省略)の実践的な診断手順
GHには、水疱、潰瘍、発赤、皮膚びらん、結痂等の典型的な皮膚症状がある。また神経刺激症状を伴うことが多いので、局所の疼痛は「皮膚の裏側から針でさされるような痛み」とか、「入浴時にお湯がしみる」といった訴えが多い。時として座骨神経痛や腰痛を伴うこともあるが、原則的に感染巣のある神経節からのびた神経支配領域に症状が限局する。しかも、再発誘因や周期性などの特徴があるため、慣れた医師であれば患部の視診と簡単な問診程度で診断は容易である。しかも、内服抗ウイルス薬にはもともと重篤な副作用は少なく、海外文献では妊婦への安全性、胎児への安全性も確認できているので、診断に困ったときにはまず内服抗ウイルス薬を服用させて、数日で劇的な症状の改善があればGHはほぼ確定的と考える。多少乱暴な手法と批判されることも承知しているが、診断に手間取って初期治療が遅れればその後の潜伏感染、再発症状に悪影響を及ぼすことは明白なので、著者は「診断的治療」は許容されると考えている。 その最も大きな理由は、現時点で臨床現場で使える検査のうち決定的な検査方法がないことが挙げられる。確定診断にはウイルス同定(抗原検査)で必要であるが、下図中央のように典型的な潰瘍面からしか検出できないのだから、慣れた臨床医が視診で診断する方が確実だからである。
図. 実践的な性器ヘルペスの診断手順
図. 典型的な性器ヘルペスの症状経過
② 抗体検査の診断的意義
筆者は抗体検査を行うことはほとんどない。健康保険でできる補体結合反応(CF)、中和反応(NT)、酵素免疫測定法(ELISA)のいずれも一長一短があって、どれも決定的な方法とは言えないことと、日本人の抗体陽性率は45%にも及ぶのに、年間のGH報告者数は72000人ほどで(STIサーベイランス報告2002年)、ヘルペスウイルス感染者(抗体保有者)の年間発病率は0.01%と非常に低い。上記の根拠となるデータが古いので、仮に実数が100倍に見積もっても1%にしかならない。つまり、ヘルペスウイルス感染者(抗体保有者)はとても多いが、発病する人はごく少数であることが事実であるため、抗体価が高くても、それだけでGHの診断はできない。また、初症状でも、非初感染初発の可能性もあることから、必ずしも直近に性行為をした相手から移ったとは断定ができないため、パートナーへの告知は軽はずみにしてはならない。
GH研究の第一人者である帝京大学産婦人科名誉教授川名尚先生によれば初発症状の43%は非初感染初発であり、とくに2型感染例では非初感染初発が63%も占めるとしている。近年の研究で、1型感染者が2型に重複感染した場合すぐに症状が出ずに潜伏感染することが知られるようになってきた。
筆者は、一般医がむやみに抗体検査で性器ヘルペスを診断するべきではないと警告する。なぜならば、抗体検査では確実に初感染と再発、1型と2型を区別することができず、そのためには高度に専門的な知識と診断設備を持っていなければならないことと、なによりも「犯人探し」によってカップルが別れる原因を作ってしまったり、ヘルペス感染者のほとんどが無症候性キャリアーであるにもかかわらず、いらぬ心配をかけたり無駄な治療を受けさせたりする事例があまりにも多いからである。
以下に各検査別の特徴と取り扱い上の注意点を述べる
抗体検査は感染初期と回復期のペア血清によって同じ検査方法で抗体価が4倍以上になった場合に感染(初感染、再発)の判定根拠となるのであって、定性反応で「陽性」というだけでは、「何らかのヘルペスウイルスによる感染の既往」を推定するにすぎず、「感染症の証明」にはならない。
1)補体結合反応(CF): 健康保険の適応があり、安価で簡便な方法なので最もよく行われているが、感度、特異性ともに低い。感染後比較的早期に補体結合抗体は消失するので、感染の既往を診断することはできない。逆に再発を繰り返す場合には抗体価が高値安定するので、ペア血清での判定も困難なことがある。また型別交差反応のために1型と2型を区別することは困難である。
2)中和反応(NT): 感度、特異度ともにCFに比較して高いが、組織培養が必要なので操作が煩雑で時間がかかる。1型と2型の交差反応のため厳密には区別がつかない
3)酵素免疫測定法(ELISA): 感度、特異度ともにCFに比較して高く、IgMとIgGを区別できるので、初感染と再発の区別に使われるが、検査に約1週間要すること、初感染でもIgMよりもIgGが先に陽性化して、IgMは感染後6日を経過しないと陽性化してこないこと、水痘帯状疱疹ウイルス(VZV)との交差反応のために、判定のためには高度に専門的知識を要するので、一般医レベルでの診断には向かない。1型2型の交差反応のため型分類には向かない。再発頻度の低い者では抗体価が検出限界以下になることもある。
4)gG ELISA: ウイルスの外郭に存在するglycoplotein G に対する抗体を測定する。抗体検査のうち、唯一1型2型の区別ができる方法であるが、研究室レベルでなければ検査ができない。
③ 抗原検査
以前はウイルス培養を行っていたが、健康保険適応外で費用が高く、一般に抗原検査を行うことができなかった。蛍光抗体法は健康保険の適応があり、型特異性も認められているが、検出感度があまり高くない。PCR法は型特異性、検出感度(陽性一致率という意味で)は蛍光抗体法より優れているが、健康保険の適応がない。イムノクロマト法はベッドサイドで簡便にできて、陽性一致率が優れている。健康保険の適応もあるが、1型2型を区別できない。また、筆者の経験上、PCRもイムノクロマトも、典型的な潰瘍面から取った擦過検体でない限り陽性にはならない。
海外ではPCRを改良して検出感度を向上させた試薬が臨床応用されているが、日本ではまだ使用できない。
図. 性器ヘルペスの検査と特徴
④ 性器ヘルペス診療現場の実情と筆者の見解
性器ヘルペスは、稀に入院が必要になるほどの激しい症状を呈することもあるが、大多数の患者は感染にも気づかずに過ごしているのが現実である。性病予防法(既に廃止)の影響で、[性病はうつるもの、一生治らない怖い病気」といったネガティブなイメージが固定化したため、うっかりパートナーに告知するととんでもない不幸を招きかねない。性器ヘルペスは一般に症状が軽いわりに、患者の精神的な不安が強い傾向がある。再発がなくても再発するんじゃないか、相手に移すんじゃないか、と言った不安を抱えている。中にはうつ病として精神科に通ったり、自殺を企図する者もいる。医師は、性器ヘルペスの症状だけを診るのではなく、患者のおかれた立場と精神状態にも気を配る必要がある。
本稿で解説してきたように、現状では決定的な検査方法はなきに等しく、血液検査で陽性反応が出たからといって、必ずしも性器ヘルペスとは言えないのだから、むやみに無症状な者まで血液検査をするべきではないし、ましてや初感染か既存感染かは、その後の患者の予後にさほど影響のない問題なので、「犯人探し」に加担することは、相手の人権を侵害するに等しい行為であり、医師の倫理上許されないことであると考えている。